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ついでにいえば、當時は日本も統一されているとは言い難い時代ですから、流れ著いた渤海國使節のうち、ほとんどは「蝦夷えみし」と呼ばれていた人々に殺されてしまったといわれています。

順便說一下,當時日本是一個不能說是個統一的時代,所以漂流來的渤海國使節們,幾乎所有的人都被稱作“蝦夷”的人所殺害。


その生き殘りが流れ流れて、翌年に聖武天皇へ拝謁。

幸存下來的人到處漂泊,在第二年拜見圣武天皇。


異國の地で都の方角をすぐに調べられたというのは考えにくいですから、おそらくは彼らに協力的な人々もいたのでしょう。

很難想象他們在異國他鄉馬上就能調查到城市的方向,恐怕也有與其合作的人。





當時日本の貴族の間で貂(てん?イタチ科の仲間)の毛皮が珍重されていましたので、渤海國からの輸入は大いに歓迎されました。

當時日本的貴族之間十分重視貂(鼬鼠的同類)的毛皮,因此來自渤海國的商品受到了極大的歡迎。


この頃よりだいぶ後の話ですが、源氏物語の中にも末摘花すえつむはなという女性が黒貂の皮衣を著ているシーンがあります。あれほど著込みまくる平安時代ですら毛皮がないと冬を乗り切れないのですから、奈良時代はいわずもがなでしょう。

這個時候大部分都是后話了,不過,源氏物語中也有描寫叫做末摘花的女人穿著黑貂皮衣的場景。在需要穿很多衣服的平安時代,如果沒有毛皮的話,是無法度過冬天的,在奈良時代就更不用說了。


しかし、日本側は渤海國の使節を朝貢と認識していたため、その歓待に莫大な金額を割かれてしまいます。

但是,由于日方認為渤海國使節是來朝貢的,用來款待他們的金額十分巨大。


朝貢というと、いかにもされる側のほうがエラぶっていそうですが、親分は子分にアレコレと振る舞ってやらなければならないんですね。

說到朝貢,被朝貢國看起來很了不起,但是老大必須要對小弟慷慨。





渤海國の首都は「上京」というのですが、平城京とそっくりな作りをしているのです。

渤海國的首都叫做“上京”,和平城京建得一模一樣。


平城京も長安を真似て作ったものとされていますが、できた順番が長安→平城京→上京なので、渤海國の使節が平城京を見て、都を作ったとも考えられます。

不過也有認為平城京也仿效長安建立的,建造的順序是長安→平城京→上京,渤海國的使節是看著平城京建立他們的都城。



長安を真似て上京を作ったとしたら、平城京よりも先に作られているはずですからね。

如果上京是模仿長安建造的,應該比平城京還要早建起來的。


決定的な証拠はまだ見つかっていないようですけれども。

現在好像還沒找到決定性的證據。


碁盤の目で知られる平城京を真似ていた可能性も

也有模仿以形如棋盤而聞名的平城京的可能性


渤海國との友好関係は長く続きましたが、927年(延長五年)以降に突然通交が絶えてしまいました。

雖然與渤海國的友好關系持續了很長時間,但是在927年(延長5年)以后突然就斷絕了往來。





後々、中國に金王朝ができたとき、舊渤海國に殘っていた住民は厚遇されたそうですが……その間が200年くらいありますので、良かったと言っていいものかどうか。

后來,中國的金王朝建立的時候,留在渤海國舊地的居民受到了厚待……這期間相隔有200年左右,這可以說是好事嗎?


かつて渤海國だった地域は、現在北朝鮮にあたる部分も多いため、発掘調査があまり進んでいないようです。

以前是渤海國的地方,現在位于朝鮮的部分比較多,發掘調查好象不太成功。


これだけ発展していた國ですから、自國の記録も作っているでしょうし、どこかにありそうなものですが……。

如此發達的國家,應該有記錄本國的歷史,但哪里有呢……。


いつか日の目を見ることができるといいですね。

希望有一天能再次見到太陽。